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真田園の歴史

奈良県吉野郡大淀町の大阿太高原に広がる真田園は、標高約250mの丘陵地帯で家族経営を続ける果樹園です。
昼夜の寒暖差と水はけの良い赤土という恵まれた自然環境は、古くから梨栽培に最適な条件を備えており、この地で育まれる果物は深い味わいと香りを持っています。

大阿太高原 – 「梨の里」の誕生

大阿太高原における梨栽培の歴史は、明治35年(1902年)に札幌農学校を卒業した奥徳平氏がこの地に移住し、「薬水園」という果樹園を開いたことから始まります。

奥氏は千葉から購入した二十世紀梨の苗木を栽培し始め、当初は自らが作った梨を「勝利梨(かちどきなし)」または「凱歌梨」と命名していました。

奥氏の最も大きな功績は、黒斑病に弱い二十世紀梨を守るため、パラフィン袋による防除法を開発したことです。
この革新的な技術は全国に広まり、100年以上経った現在でも使用されています。明治37年には奥氏の梨が「二十世紀梨」と同品種と認定され、以後「二十世紀」と呼ばれるように。

奥氏が残した「勝利梨」の源樹は樹齢80年を超えた現在も大阿太高原に残存しており、この地域の梨栽培の歴史を物語っています。

現在では約40戸の農家が、伝統的な栽培技術を基盤としながらも、品質向上や減農薬栽培などの現代的な手法を取り入れて、この地域の梨づくりの伝統を守り続けています。

真田園の創業と発展

真田園は、この大阿太高原の果樹園開拓の流れの中で創業され、100年以上の歴史を持つ農園として発展してきました。

農園名の「真田園」は所在地の地名「佐名伝(さなでん)」にちなむものと考えられ、現在は山口さんご家族によって運営されています。

園内には樹齢100年を超える古木も大切に管理されており、先代から受け継いだ栽培技術への敬意を払いつつ世代交代が行われ、
長年の歴史の中で、戦時中や戦後の農業改革、高度成長期の宅地化の波など様々な困難もありましたが、真田園は代々果樹栽培の技術と土地を受け継ぎながら存続してきました。

現在は5代目の園主「山口真史」が中心となり、伝統的な栽培技術を守りながらも、時代の変化に対応した新しい取り組みにも積極的に挑戦しています。

品質への取り組みと信頼の構築

  • JA大淀農産物直売所での地元販売
  • 郵便局「ふるさと小包」での全国展開
  • 高島屋オンラインストアでの継続取引
  • 大淀町ふるさと納税返礼品として採用
  • 奈良県のクラフト蒸溜所「大和蒸溜所」への梨の供給(2021年〜)

これらの品質管理体制と多様な販路の確立により、真田園は地域内外のお客様に安心・安全な果物をお届けし、確固たるブランドとしての信頼を築き上げています。

地域とともに歩む農園

大阿太高原は標高150〜200メートルの丘陵地帯で、昼夜の温度差が大きく果樹栽培に適した気候です。土質は強粘土質の赤土と呼ばれ、ミネラル分を多く含んでおり、梨の糖度を高める要因となっています。

大淀町は町を挙げて梨の生産振興に取り組む「梨推しの町」で、マンホールには梨の花のデザインが描かれています。真田園もこの地域ブランド形成の一翼を担っており、「大阿太高原の梨」として販路拡大を図っています。

地元の産業振興施策や観光との連携により、大阿太高原の名は全国に知られるようになり、ふるさと納税返礼品や産地直送通販を通じて多くの消費者に愛され続けています。

次世代へつなぐ想い

奥徳平氏が築いた「梨の里」の伝統から始まり、大阿太高原の豊かな自然に根ざした歴史と、家族が代々紡いできた栽培技術、そして現代の革新的な取り組み。
これらすべてが調和する真田園は、「大阿太高原の恵みを次世代へ」という想いを胸に、これからも歩み続けます。

明治時代から続く梨栽培の伝統を受け継ぎながら、一つ一つの果実に込められた歴史と技術、そして未来への希望。真田園の物語は、今日もまた新しい1ページを刻んでいます。

基本情報

真田園へのご来園やお問い合わせの際は、下記の情報をご参照ください。

園名真田園(さなだえん)
所在地〒638-0831 奈良県吉野郡大淀町佐名伝855
連絡先TEL/FAX: 0747-52-3498
Email: sanadaen4174@outlook.jp
営業時間9:00-17:00 〈収穫期無休〉